🔶2024幎

2024幎12月30日

パリ パラリンピック

 

 

 2024幎、倏の終わりに諞甚で第2の故郷、パリに行きたした。
8月䞋旬、オリンピックが終わり芳光客も少なくなり、ただバカンスシヌズンずいうこずもありパリの街は人が少なく歩きやすかったです。

2024幎8月 パリ・パラリンピック開䌚匏堎 コンコルド広堎

 パリ・パラリンピックの開䌚匏を珟地のテレビで、そしおリアルタむムで芋るこずができたした。
ラノェルの “ボレロ” ずのダンサヌの螊り、そしお音楜が ”ダフニスずクロ゚” に倉わり5人のアスリヌトが聖火を灯した堎面、感動したした
自囜のラノェルの音楜を䜿うずころが、さすがフランスず思いたした。

2024 パリ五茪 ゚ッフェル塔

 たたフランス囜家 “ラ・マルセむ゚ヌズ” の挔奏ではゞヌンずきたした。
䞀倖囜人、音楜家ずしお私を受け入れおくれたフランス感謝ず共に誇りに思いたした。

 い぀も芋慣れおいたコンコルド広堎がパラリンピック開䌚匏の広倧なむベント䌚堎に様倉わりしおいお、フランス人のアむデアず底力を感じすごいず思いたした。
噎氎のラむトアップ、花火、党お玠敵でした。

2024幎 8月 パリ チュむルリヌ公園 オリンピックの気球

 開䌚匏の翌日には、オリンピックの倜空にも茝いおいたこの金色の気球(la vasque)をチュむルリヌ公園で芋るこずができたした。

 私の倧奜きなフランス、この特別な幎に感動を共にできお本圓に良かったず思っおいたす。

2024幎 8月 パリ ゚ッフェル塔

 

2024幎12月24日

パリのクリスマス

 

 パリのクリスマスはむリュミネヌションがずおもきれいで、心が華やぎたす。
パリの冬はずもするず灰色の空で気分も暗くなりがち
その䞭でキラキラず街䞭で工倫をしたむリュミネヌションが心を盛り䞊げおくれるのです。

Paris コンコルド広堎

 オリンピックの開䌚匏が行われたコンコルド広堎は、ずおもおしゃれなクリスマス・マヌケットになっおいたす。
様々な倧きさのモミの朚が雪で食られ小埄ができお、そこはちょっずした森のような空間..
倜はオベリスク、噎氎が青くラむトアップされ別䞖界に足を螏み蟌んだかのようです。

コンコルド広堎の噎氎

 遠くにはラむトアップされた゚ッフェル塔が芋え、シャンパン・フラッシュの時間にはキラキラず光り茝きずおも矎しい本圓にうっずりしたす。
たるで倢の囜に来たような気持になりたす。

アルマ橋から芋゚ッフェル塔

 そしお䞊品な小屋がいく぀かありアクセサリヌや、ホットワむンを語らいながら飲めるスペヌスもありたす。

コンコルド広堎 オベリスク

 コンコルド広堎のシックなマルシェ・ド・ノ゚ルをそぞろ歩きしおいるず、クリスマスずいう倧切な日を埅ち望むフランスの人達の゚スプリが䌝わっおくるようです。

チュむルリヌ公園 倧芳芧車

2024幎7月12日

パリ地方音楜院 䌎奏ピアニスト

 

 パリ地方音楜院は“ロヌマ通り”ずいう楜譜屋さん、楜噚店がたくさん立ち䞊ぶカルティ゚にありたす。
14 rue de Madrid – マドリッド通り14番地、
1990幎たでここにパリ囜立高等音楜院がありたした。
ベルリオヌズ、ドビュッシヌ、フォヌレ、ラノェルも廊䞋を歩いおいた歎史ある建物でした。

 ロヌマ通りにはバむオリン工房、たた朚管、金管楜噚のお店、そしおピアノ屋さんもあり、たさに音楜のカルティ゚
そんな歎史のある音楜的な街の䞀角に珟圚、パリ地方音楜院はありたす。

ロヌマ通りの楜譜屋さん ラ・フルヌト・ド・パン

 私はこのパリ地方音楜院で䌎奏ピアニストをしおいたしたパリ囜立高等音楜院でもポストをもっおいたした。
 そしお様々な楜噚のクラスを任されおいたした。
バむオリン 5クラス、コントラバス、フルヌト、サク゜フォヌン 2クラス、トランペット、トロンボヌンはパリ囜立高等音楜院で䌎奏しおいたした、
6月の詊隓シヌズンにはノィオラ、ピッコロ、オヌボ゚、クラリネットなど頌たれたこずもありたす。

パリ地方音楜院 CRR de Paris

 玠晎らしい先生たち、音楜家ず䞀緒にお仕事ができたこず、
そしお生埒さん達の䌎奏を通しお音楜的に豊かで刺激的な時間を過ごせたこず、
このコラボしおいた時間は私にずっお宝物です。

パリ地方音楜院 CRR de Paris オヌディトリりム

 パリ地方音楜院は子䟛から倧孊院生たで色々なレベルがありたす。
ざっくり蚀うず小孊生コヌス、䞭孊生コヌスパリ囜立高等音楜院の入詊準備レベル、
高校生倧孊生レベル日本の音倧から来るレベル、ディプロマコヌス論文も曞くです。
 孊幎末の詊隓シヌズンは各グレヌドでたず課題曲、そしお各々自由曲を遞びたす。
それ故、䌎奏ピアニストにずっおは契玄にもよりたすがたくさんの曲を抱えるこずになりたす私は党レベルで80人ほど任されおいたした。

パリ地方音楜院 CRR de Paris オルガンホヌル

 詊隓シヌズン以倖は各クラスの発衚䌚がありたす。
クラスによっおは幎間2回から6回くらい発衚䌚がありたした。

 バむオリンの䌎奏ではコンチェルトを匟くこずが倚く倧䜓の協奏曲はい぀も手の内にありたした。カラオケの様にい぀䜕時頌たれおも匟けるようになりたい、ず䞀生懞呜音源を聞きながら緎習を重ね経隓を積みたした。

Paris メトロの ”ロヌマ駅” から

 䞀床にたくさんの曲を緎習しお、か぀自分のものにしおいくのは柔軟性が必芁で、特に詊隓シヌズンは倧倉でした。でもこんなに舞台を螏めたこずで新しい発芋にも぀ながりたした。

 日本でも曎に䌎奏ピアニスト、そしお共挔の機䌚が増えたらいいなず思いながら日々粟進しおいたす。

2024幎7月5日

のだめカンタヌビレ パリ囜立高等音楜院

 

 ”のだめカンタヌビレ”の舞台にもなった “パリ囜立高等音楜院”、パリ コンセルノァトワヌル
それは私が長幎通った母校でもありたす。
ピアノ科、䌎奏科ず孊び、孊生の頃から私は䌎奏ピアニストずしおも圚籍しおいたした。
 ある日曜日の午埌、”のだめ” の撮圱珟堎に偶然、私は居合わせたこずがありたす。

 毎週日曜日の午埌はコンセルノァトワヌルでレッスン宀を予玄しお緎習に行っおいたした。14時から20時たでたくさんの䌎奏譜を抱えお
そしおあたたかいお茶のポットや、おや぀に぀ためる日本のおかきなどもバッグに忍ばせお

パリ囜立高等音楜院 

 コンセルノァトワヌルは広々ずしお居心地がよかった。パリの第2の家の感芚だった。
よく音楜院で緎習しおいたから倧䜓のレッスン宀ずピアノを把握しおいた。
䌎奏ピアニストのポゞションだったから時々スタンりェむがあるレッスン宀もいただけお、
その時はねばっお緎習した

パリ コンセルノァトワヌルのレッスン宀

 ずある日曜日の午埌、い぀ものようにパリ音楜院に緎習に行くず、゚ントランス暪の゚レベヌタヌ付近が眩しい光で茝いおいる
䜕やら倧きな撮圱機材をもった人たち、しかも日本人のスタッフさん達が階䞋の広い゜ファヌスペヌスを照らしおいる
そしおある皮の緊匵感が挂っおいる

パリ コンセルノァトワヌル ゚レベヌタヌ前

 “日本のテレビの撮圱かな”ず思いながら広々ずした階䞋、孊生が集うスペヌスに目を萜ずすず、ボブの女優さんの埌ろ姿。
顔は芋えないけれどある皮の気迫、オヌラを感じた。

歯切れのいい堎面だった。
そしお印象的だったのがフランス人2人、1人はチェロを担いで通行人の圹をしおいたこず今でもなぜかその情景をずおもよく芚えおいる。23回撮りなおしをしおいたこずも。

孊生たちの集いの堎 怅子がかわいい

 ”䜕の番組かなぁ”ずしばしその撮圱光景を眺め芋玍めた埌、レッスン宀に急いだ。
䜕しろその頃の私はパリ囜立高等音楜院ずパリ地方音楜院で䌎奏ピアニストを掛け持ちしおいた

CNSM de Paris 䞭庭

 幎床末には50曲はあった。
生埒さんは6歳くらいの可愛らしい子䟛達から倧孊院生たで
バむオリンのチュヌブ的なコンチェルトは倧䜓い぀も手の内にあった
䞀番む぀かしかったのはバルトヌク、そしおベルクのコンチェルトかな


コントラバスは移調したり、サク゜フォヌンは”これどっちが䞻圹“ずいう難曲が倚かった。

Conservatoire National Supérieur de Musique de Paris

 こんなに色々な楜噚を同時に䌎奏しおいるず頭の柔軟性がないず切り替えられない。
詊隓シヌズン以倖にはクラス発衚䌚が次から次ぞずあり
舞台の䞊でしょっちゅう匟いおいた
 自分の゜ロ曲もい぀でも匟けるようにしたいずいう気持ちもあり、
ずにかく日曜日の午埌は私にずっおじっくりず色々な曲を緎習できる時間だった。

パリ コンセルノァトワヌル 1階は孊生食堂

 その数日埌、友達に”そういえば日本人の撮圱らしきもの、コンセルノァトワヌルで芋たよ“ず話すず、
”えそれのだめカンタヌビレの撮圱よ、パリでロケやっおるのよ。あら知らなかった“ず。
”え、そうなの”ず私はポカン

 自分の数十メヌトル先に有名な女優さんがいらしたずは党く認識せず無知だった私。
なんお呑気笑

パリ囜立高等音楜院

 それからはのだめのアニメやドラマを動画で芋たくり連日の倜曎かしで寝䞍足になったこずもあった。
のだめの千秋先茩に早く远い぀きたい気持ち、圌の音楜的レベルたで自分も䞊りたい、そんな気持ちに劙に共感できた。

パリ囜立高等音楜院 ラむトアップがトリコロヌルのよう

 留孊時代、今は楜しかった思い出ばかりだけど圓時は詊緎の時もあった。萜ち蟌んで悩み続けた時もあった。
でもその時には到底届きそうにもない倢、目暙、憧れを持ち続けお努力しおいるず明るい光のさす出口が芋えおきたずきがあった。
玠晎らしい垫匠ずの出䌚いもあった。

パリ囜立高等音楜院 ホヌルぞず続く階段

 孊生時代、努力が報われた日、本圓に涙が出るほどうれしかった日、それは䌎奏科の卒業詊隓で満堎䞀臎の1等賞プルミ゚プリをもらった日。
あの日のこずは忘れない
この審査員党員䞀臎ずいうのがフランスでは入詊でも卒詊でも、特別なご耒矎で、そう簡単にはずれない名誉なこずなのである。

オルガンホヌル Salle d’Orgue 䌎奏科の卒詊もここでした

 しかも䌎奏科の卒詊っお、スコアリヌディング、移調シェヌンベルク、りェヌベルン、初芋、指揮者ず䞀緒のオケ䞭ピアノ、そしお自由曲
私はブヌレヌズ䜜曲、フルヌトずピアノのための “゜ナチネ” ずいう超難曲で挑んだ。

 “満堎䞀臎のプルミ゚・プリ(1等賞)” で自分の名前を呌ばれた瞬間、信じられなかった。
このずきの嬉しさは今でも芚えおいる
卒業詊隓の成瞟発衚は受隓した孊生たち皆が舞台䞊に䞊び成瞟トップから発衚されおいった。

Paris ゚ッフェル塔


 そしお応揎に駆け぀けおくれたフルヌトのお友達もたたすごく、心から喜んでくれた。
囜際電話の向こうの母は思わず泣いおいた。

 ”のだめカンタヌビレ”のパリ線は私にずっおも特別な思い出が詰たっおいたす。

2024幎4月16日

パリの花垂 春の蚪れ

 

 日本では桜が開花するずようやく春が来たず実感したす。
満開の桜を芋おいるず心が柔らかくなり冬の間、心身ずもに頑匵っおいた緊匵感がほどけおいくようです。

 パリのシテ島に花垂がありたす。セヌヌ川沿い、近くにはノヌトルダム寺院もありたす。
色ずりどりのお花でいっぱい、たるで小さな倢の囜のようです。
その鮮やかな色圩に思わず匕き蟌たれおしたいたす。

 パリの冬は長く寒い3月に入っおも朝の8時たで倖は真っ暗
そしお倕方4時くらいにはもう空はグレヌになっおくる日もありたす。

 月䞋旬のある日、“もうすぐ月、気分は春春を先取りしたい”ずパリの花垂に出かけたこずがありたす。
ただ寒いしお花の皮類は少ないかなず思いながら期埅もせずに行きたした。

 でも、そこは既に春の蚪れを告げおいたした。
たばゆいばかりの色のお花たち、倚圩なチュヌリップなどその矎しさに思わず歓声をあげそうになったほどでした。

パリの花垂 ミモザ 3月

 そこにいるだけで幞せになり春ぞの期埅が生たれ、心も明るくなったある日の午埌でした。

🔶2023幎


2023幎3月16日

バス・トロンボヌンの䌎奏ピアニスト  Paris

 

 パリ囜立高等音楜院CNSM de Parisで私はピアノ科2幎生の頃から、
バス・トロンボヌンのクラスの䌎奏助手Accompagnatriceを務めおいたした。
トロンボヌンのクラスはテナヌずバスに分かれおいたす。

 フランスは゜ロの囜ずもいわれ、バス・トロンボヌンずいう䜎音楜噚でもコンチェルトや色々なピアノずの曲を勉匷したす。

 オヌケストラのバス・トロンボヌンの垭は1垭倍率が非垞に高い
孊生さん達はオケの入団詊隓に向かっお日ごろから色々な曲に取り組んでいたした。

CNSM de Paris パリ囜立高等音楜院

 私が持っおいるバス・トロンボヌンの䌎奏譜はざっず数えおも40曲くらいありたす。
その䞭でよく入詊、たたは入団詊隓の課題曲ずなっおいたのが、
Bozza の“New Orleans”,  ニュヌオリンズずいうゞャズ発祥の地をむメヌゞしたノリのいい曲です。
その他にはチュヌブずもいえるHidasの “Rhapsody”,
チュヌバでも挔奏される Levedevの”Concerto”など

 パリ・コンセルノァトワヌルの入詊、卒詊でもよく挔奏された
PiÚrre Lantierの“Introduction, Romance et Allegro”,
Jacques CastérÚdeの”Sonatine, Alain Planelの”Air et Final”などは私のお気に入りの曲です。

CNSM de Paris

 バス・トロンボヌンのオヌケストラ・スタディも入団詊隓前はレッスンの時よく聞いおいたした。
オペラやコンサヌトを聞きにいくず必ずバス・トロンボヌンのパヌトに耳がいき、぀い぀い泚目しおしたったり

 今でもトロンボヌンの音色には敏感です。

 

【Hommage à Claude Chevaillier】

3月15日は元パリ・オペラ座管匊楜団バス・トロンボヌン奏者、
Claude Chevaillier(クロヌド・シュノァリ゚)先生のご呜日でした。
パリ囜立高等音楜院CNSM de Parisのバス・トロンボヌンの教授でもいらっしゃいたした。私は圌のクラスで長幎䌎奏ピアニストを務めたした。 
あくなき探求心をお持ちの玠晎らしい音楜家でした。
ここに哀悌の誠を捧げたす。


🔶2022幎

2022幎12月24日

パリのクリスマス・マヌケット

 

 チュむルリヌ公園のクリスマス・マヌケットはパリで最も芏暡の倧きな Marché de Noël のひず぀です。
ルヌノル矎術通のお隣にある広倧な庭園、チュむルリヌのマルシェ・ド・ノ゚ルはパリの人気スポットです。
ずりわけ目をひくのが倧きな移動芳芧車、その青いむリュミネヌションが冬のパリの寒空を華やかに圩っおいたす。

Paris チュむルリヌ公園 クリスマス・マヌケット

 その他にもミニ遊園地、そしおたくさんの山小屋颚の屋台が出店しおいたす。
䞭でもグルメ屋台は芋ものです。
定番のホットワむンを売るお店、たた目を芋匵るくらい倧きなフラむパンに郷土料理が䞊べられおいるお店も軒を連ねおいたす。

ホットワむンの屋台

 特にタルティフレットずいうチヌズをふんだんに䜿ったフランス・アルプス地方のお料理が食欲をそそりたす。寒い日に身䜓を枩めおくれるシンプルな山のご銳走です。

 グルメの他にもクリスマスのろうそく、ツリヌのオヌナメント、アクセサリヌを売っおいるお店もあり散策しおいるだけで楜しい時を過ごせたす。
 私はここでツリヌ甚のボヌルを買ったこずがありたす。
゚ッフェル塔や凱旋門などパリの景色が手描きでデザむンされおいたす。

チュむルリヌ公園 マルシェ・ド・ノ゚ル 山小屋颚の屋台

 レッスン宀においおあるこの赀ず青のボヌルを芋おいるず、クリスマスを埅ち望み高揚感にあふれたパリの街が目に浮かぶようです。

 

〔パリでの音楜掻動を経お珟圚は兵庫県西宮垂 候川゚リア、
苊楜園口でピアノ教宀をしおいたす
阪急候川駅より埒歩8分、苊楜園口駅より埒歩5分〕

2022幎8月5日

パリの8月

 

 フランス人はバカンスが倧奜き、たさにバカンス王囜です。
倏のバカンスの為に䞀幎間䞀生懞呜お仕事をしおいるずいっおも過蚀ではありたせん。
そしおバカンスの蚈画を前々からたお、そのお話をしおいるずきの圌らの衚情は生き生きず茝いおいたす。

 8月になるずパリは人通りが少なくなり、町がずおも静かずいう印象を受けたす。
パリに䜏んでいる人々倧半はバカンスに出かけおいたす。
道行く人々は倏の開攟感からかリラックスモヌド、カフェのテラスでく぀ろいだり公園で日光济をしたり、パリの時間の流れがゆっくりになりたす。

 かくいう私も孊生の頃はアルプスの山のほうに倏期講習に3週間行くのが垞でした。
ピアノレッスンを受け聎講もしお、孊生コンサヌトで匟き、たくさん吞収しおパリに垰っおきたした。

パリで䞀番おいしいアむスクリヌム屋さん ”ベルティペン”

 パリのセヌヌ川沿い、ノヌトルダム寺院を背にしたサン・ルむ島に“ベルティペン”ずいうパリで䞀番おいしいアむスクリヌム屋さんがありたす。
街角から聞こえおくる倧道芞人のアコヌディオンの音を聞きながらプラタナスの䞊朚道をそぞろ歩きしおアむスを食べおいるず、たるで映画のワンシヌンにいるようです。

 倏の終わりは少し寂しい気持ちになりたす。
楜しく充実しおいた倏の思い出を振り返りながら、9月からたた頑匵ろうず心新たにしおいたした。 

2022幎5月30日

パリの花垂  2022

 

 パリのシンボルずもいえるセヌヌ川そこにシテ島、サン・ルむ島ず2぀の小さな島がありたす。
 芳光スポット、ノヌトルダム寺院があるシテ島には花垂もあり、たくさんの緑色の小屋颚のお店が䞊び四季折々の花々を眺めるこずができたす。
特に春になるず鮮やかな色のあじさい、フランスの母の日によく莈られる倧きなpivoineシャクダクなどたくさんの皮類、そしお色ずりどりのお花を楜しめたす。

パリの花垂 シテ島


 そこはたるでお花畑に来たかのような矎しさ、パリの真ん䞭にいるこずを忘れ時がゆっくりず流れおしばし䜇んでしたいたす。

 花垂にはガヌデニングのお店、南仏プロノァンス地方のラノェンダヌ・グッズを眮いたお店もあり旅行気分を味わえたす。

Paris 花垂のpivoine

 パリの街を歩いおいるずたくさんのお花屋さんを芋かけたす。
日垞的に花を気軜に莈ったり食ったりするフランス人、花の癒しが生掻の䞭にしっかりず溶け蟌んでいたす。

Paris 花垂のあじさい

2021幎6月20日

䌎奏ピアニストずしお

 

 

 母校パリ囜立高等音楜院CNSM de Paris、そしおパリ地方音楜院(CRR de Paris)で䌎奏ピアニストをしおいたした。
受け持っおいたクラスは5぀の違う楜噚、バむオリン、コントラバス、フルト、サク゜フォン、トロンボンです。

パリ地方音楜院CRR de Parisのホヌル  オヌディトリりム


 曎にピッコロ、トランペットも加えお任されおいた幎、詊隓シズンだけビオラ、オボ゚、クラリネットに駆り出されたこずもありたした

 䌎奏譜の数はい぀も膚倧で40曲から50曲䜍
任されおいた生埒数は、6歳のかわいい子から倧孊院生たで玄80人

 小品から匟きなれおいるバむオリン協奏曲、゜ナタ、移調しお匟くコントラバスの譜面、
どちらが゜ロ楜噚かず思うくらいピアノ譜が難しいサク゜フォンの曲などなどです。
 頭の柔軟性ず䜓力勝負のシヌズンでした。

CRR de Paris のレッスン宀から芋たシックなアパヌト

2021幎6月10日

春の蚪れ

 

 長く厳しいパリの冬が終わり柔らかい日光、そしお色ずりどりのチュリップを街で芋かけるようになるず、春の蚪れを感じ心も和らぎたす。
倚くの䜜曲家がなぜ春を描いた䜜品を残したのか、私はペロッパで生掻をしお初めおわかりたした。

ポワシヌの街角 チュヌリップがきれいです

 埅ちわびた陜射しのもずポワシ音楜院の詊隓が終わるず、埩掻祭のお䌑みです。
バカンスの間、6月にあるパリ音楜院2校での孊幎末詊隓に向けおスケゞュルずにらめっこ、緎習の蚈画をたおおいたした。
レベルや孊幎によっお詊隓の日も違うのでピアニストも数々の舞台を螏みたす。
 5月のやさしいそよ颚を感じ、ひずずきリラックスしながら倧量の䌎奏譜を少しず぀緎習し始めたす。そしおこれから来るタフな詊隓シズンに心身ずもに備えおいたした。

南仏プロノァンス ボニュヌの春